(本記事は、ジョン・ネフィンジャー氏、マシュー・コフート氏の著書『人の心は一瞬でつかめる』=あさ出版、2021年3月19日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)
「温かさ」とは何か?
「温かさ」という言葉は親近感や愛情を表すのによく使われます。こうした感覚を覚えたとき、本当に体温が上がったような気がするのは、万人共通の現象です。
研究によれば、世界中のどの言語も「温かい」という言葉は「愛情」を表すのに使われるのだそうです。これは、乳児期の親子の絆――両親の胸に抱かれたときの肌の温もり――から生じたものと思われます。
このように、「温かさ」と「愛情」は人々の心の中で分かちがたく結びついています。温かい飲み物を手にするだけで、人は普段よりも他人に優しく接するようになるという実験結果が出ているほどです。
その反対に、仲間からのけ者にされたときには、体がすーっと冷えていくような感覚を味わうことがあります。
相手が自分と同じような関心や不安を抱いていることがわかったとき、私たちはその人に「温かさ」を感じます。親近感を覚えるからです。
人に温かさを感じさせる感情は、主に「共感」、「親しみ」、「愛」の三つです。
1 共感
「共感を示す」とは、その人の身になって考えることです。これは必ずしも楽しいことだとは限りません。激しい怒りや悲しみ、失望、嫌悪感にとらわれている人を前にして、いつの間にかこちらまで同じような気持ちになってしまうのも、一種の共感だからです。しかし、多くの場合、共感は心のやすらぎをもたらし「自分は決して独りぼっちではない」と感じさせてくれます。
かつてビル・マーレイ(アメリカの俳優・映画監督・脚本家。代表作『ゴースト・バスターズ』『ロスト・イン・トランスレーション』ほか)はこう語っていました。
「誰かと痛みを分かち合い、相手の身になって考えるたびに、人はより人間らしくなれる」と。
この言葉は、共感の必要性をうまく言い表わしています。
「情緒的共感」という言葉があります。誰かがあくびをするのを見ると、ついこっちまであくびをしてしまう、という類いのものです。
「笑う」「泣く」「歓声を上げる」といった一見自発的な行動も、こうした伝染力をもっています。また、二人の人間が話に熱中しているときに、無意識に互いの姿勢やジェスチャー、口調の真似をし始めることがありますが、これも共感の一種です。
これに対して「認知的共感」という言葉があります。「頭で理解しようとすること」によって生じる共感です。これは相手の視点に立って積極的に感情移入することを指します。
しかし、実際に背景や価値観の異なる人同士が、相手の目に映る世界がどのようなものかを想像するには、相当な努力が求められます。
同じ言語を話す人間同士ですら、職業や住んでいる地域が違うだけで、価値観は全く異なるのです。互いの背景が違えば違うほど、共感するには大きな努力が必要です。だからこそ共感し合えたときにはより大きな連帯感を感じるのです。
2 親しみ
人は何であれ、未知のものを恐れます。何度か出会いを重ね、害を及ぼすものではないことがわかって初めて、安心して相手に近づくことができるようになります。
見慣れない人やものに出会ったとき、たいていの人は、最初、防御態勢を取ろうとするものです。無害な相手であることがわかって初めて、その警戒心を解くのです。
反対に、なじみ深い物事は私たちをリラックスさせてくれます。
「親しみ」が好ましい感情を抱かせることを示す、象徴的な現象があります。
人は自分と似た人物に出会ったとき、親近感を覚え、自ずと惹きつけられるということが心理学で立証されています。似ている=見慣れている、と錯覚するからです。
「類は友を呼ぶ」ということわざの通り、この現象は非常に根深いものがあり、研究によれば、母親は自分と容姿が一番よく似た娘を可愛がる傾向があるそうです。「似ていること」は本質的に人と人を結びつける働きをもっているのです。
3 愛
誰かにあふれんばかりの温かい感情を抱いたとき、私たちはそれを「愛」と呼びます。しかし、「愛」という言葉がつくものの中には「温かさ」以外の要素を含んだものもあります。
「恋愛」「性愛」「愛着」――この三つは、一つひとつが全く別のホルモンを生成し、全く異なった感覚を生み出していると、研究者は言います。
とはいうものの、「恋愛」や「性愛」と「温かさ」は親戚のような関係で、恋愛対象として魅力的な人や、セックスアピールにあふれた人を見つけるだけで気分が良くなるものです。場合によっては実際に血流が増え、体温が上がったように感じるかもしれません。
しかし、私たちの言う「温かさ」の概念に最もふさわしいのは、もう一つの感覚、家族や親友などに対する「愛着」です。
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